2011年3月31日木曜日

消えた農業議論

 果樹の防除も本格的に始まり、我々農機具屋も忙しくなってきたものの、震災後は農業関係のニュースや議論も少なくなった。TPPとか、6月中の参加可否決定が延期されても議論すら起きない。事態が事態だけにやむなしという諦めか、それとも各業界が議論がなくなったのをよしとして参加or不参加になし崩し的に持っていきたいという思惑があるのか。

 しかし農業関係のニュースも放射線量については豊富だけど、それに気を取られすぎなんだな。放射線の問題はもちろん農業にとって死活問題だし、これが解決しないと国内でも対外的にも農業はさらに弱ってしまうのは確かなんだけど、どうも世の中のニュースは一つ論点が見つかるとそこに意識が集中しすぎて、各論以前の総体としてどうするかのビジョンが不明瞭になっていく気がする。ニュースとは所詮事例報告だから仕方ない面はあるけれど。放射線の情報は大事だが、その他のニュース、議論も併せて再開した方がいいのではないかと思う。

2011年3月24日木曜日

『ジェットコースター』と大人の必要条件

たむらぱん『ジェットコースター』の歌詞。「大人になんてならなくていいよ」ではなく、「大人でなんかいなくてもいいよ」と歌っているところがポイントだ。前者は本当の子供が言う分には若さ故と許せるが、いい大人がそうは言いたくない。でも、後者は普段は大人な人に対して歌っている。大人にも大人でなくていい時間はあってもいいんだよ、と。その差は大きい。

ところで、一体いつからが大人なのだろうか。何歳からと区切りたいわけでもないが、とりあえず自分の家庭を持ったら、少なくとも大人であろうという自覚はしていたい。自分一人なら自分の命、人生は自分が責任を持てばいいが、家族ができるとそうではない。自分自身に対する責任が、家族という自分以外の人への責任にもつながる。大人とは、家族に限らず、自分以外の人に対する責任を自覚できることなのではないだろうか。これは大人であることの必要条件の一つに過ぎないとは思うけど。
まぁとりあず、例えばコンサートに行った時なんかは大人でなんかいなくてもいいんじゃないだろうか。感動すれば泣けばいいし、飛び跳ねながら手を振ったっていいし、ヘッドバンキングだってしちゃってもいいだろう。そんな時間だって必要だ。

2011年3月6日日曜日

地産地消『A alla Z』

 今日3月5日は妻の誕生日、続いて3月7日は下の娘の誕生日ということで、たまには奮発してディナーを外食に出かけました。

 行ったのは地元新潟の契約農家から仕入れた減農薬野菜を使用したイタリア料理が売りの『A alla Z』というお店。全体に野菜をふんだんに使った優しい味付けで、素材を生かした料理が素晴らしく美味しかったです。子供達も美味しいのがわかるのか、いつもよりもいい食べっぷり。一つだけある個室が予約で取れたので、3才と1才の子供が少しくらい暴れても大丈夫。安心して美味しいコース料理を堪能できて私も妻も大満足でした。

 地元で採れた野菜がこんなに美味しい料理になり、近所のお店で食べられる。地産地消の一つのいい形だなぁと感じました。このお店にはまた機会があれば行きたいものです。