2009年3月29日日曜日

なんとか、生還

 昨年末から、夏から続く忙しさにさらに拍車がかかり、月に一度あるかどうかの送別会等の会社のイベント以外ではほとんど一切帰りに飲みに行くことすらなく、休日も返上して働き続けてきたわけですが、やっとここに来て沈静化してきております。あとは4月1日のカットオーバーが無事に終われれば・・・。いやーしかし、今回は半年近い長期間、なかなかでした。その間は同僚、客先はおろか社長からの飲みの誘いすら断り、1月には大学の友人の、2月には新潟の友人の飲みをドタキャンし、2泊3日で行った家族旅行では私だけ3日目の朝に始発の新幹線で東京に戻ってそのまま客先に直行したりしました(苦笑)。まぁでも何とか、落ち着きそうです。随分と日記もさぼってきましたが、4月からはもう少し書けるでしょう。とりあえず、私は今回も生き延びました。

2009年3月15日日曜日

さよならブルートレイン

 今日を最後に、九州と東京を結ぶ夜行列車「富士・はやぶさ」が廃止になった。この列車は私と妻が結婚した際、妻が九州から横浜に引っ越しでやってくる時に二人で乗ってきたものだ。妻から指摘されて「ああ、あの時の列車か」と気付いた。夜行は元々そんなに使う方ではないのだが、それでも自分が人生の節目に乗った列車がなくなるとなるとやはり少し寂しい。あの時は妻の両親が鳥栖まで車で送ってくれて、確か夕方5時くらいに鳥栖を出て翌朝9時くらいまでかけて横浜までやってきた。途中、門司港でふらりと辺りを散歩などしながら。その時に門司港で撮った写真が残っている、・・・はずだ。確かに古い車両ではあったが、個室寝台は洗面も付いていて意外に快適だった。50年以上、様々な人を乗せて走った列車。TVで追悼番組のようなものをやっていて、新婚旅行以来30年振りにブルートレインに乗ったという夫婦もいた。ブルートレインはもうなくなるから、自分はもうそういうことはできないんだなと何となく思った。夜行列車には、確かに人の記憶をくすぐる何かがある。