2004年10月31日日曜日

う~む・・・。

 何故だろう、日曜の夜はいつも頭が痛い。今日は比較的軽くはあるけれど。

2004年10月28日木曜日

ファンホ・ドミンゲス

 ファンホ・ドミンゲスというギタリストのコンサートに行ってきました。イエペスに「ギターの流派はアンドレス・セゴビアで終わり、ファンホ・ドミンゲスで新たに始まる」と言わしめ、フラメンコのペーニャ一族やパコ・デ・ルシアも一目置くという、アルゼンチンはブエノスアイレスが生んだ天才ギタリスト。その彼がピアソラを弾くというのなら、それはもう行くしかありません。友人に誘われるまま、ほとんど何の下準備もなしで公演数日前にチケットを取って行ってまいりました。

 感想としては、「コイツぁジャンゴ・ラインハルトもアル・ディメオラも山下和仁も一人でやっちゃうなぁ」という限りなく諦めに近い感服ってところですか。気分よくリズミカルにコードを刻んでいたかと思えば、突然息の長い超速スケールを延々と回し続けたりする。ショパンの『英雄ポロネーズ』をアップデンポ気味にギター独奏で弾ききる人間がいるとは思いませんでした。あれを聴いた時は正直「アホだ、コイツ」と思ったくらいです(笑)。無茶すんなと。指でクリス・インペリテリ並のスケール回してましたからね。一緒に行った友人と、「ヤツぁ単純な速弾き勝負でもアル・ディメオラに勝てんじゃねーのか!?」と盛り上がってました。もういい尾爺さんなんですけどね、凄いんです。

 さらに圧巻なのが随所で用いるそのトレモロ。おかしいんです。普通トレモロって、pamiで順番に回して行くもんですが、ファンホ・ドミンゲスはそうじゃない。amiでパララララ・・・って回しながら、そのamiのどのタイミングでも自由自在にpでメロディー刻んでくる。amiが弾弦するタイミングと同時にです。しかも、1つの弦をトレモロするだけじゃなくて2つの弦や3つの弦を同時にトレモロして、和音で綺麗に粒揃えてトレモロするのです!あれは凄いです。できねーよ(爆)!そんな超速スケールや和音トレモロ、果ては複雑怪奇な右手運指のアルペジオまで含めて、実に斬新な編曲で演奏される『アディオス・ノニーノ』や『チキリン・デ・バチン』、『アルフォンシーナと海』等は圧巻でした。右手が器用すぎます。さらにUNとキムが独重で演ったあの『チャルダッシュ』も、テンポは凄まじく早いもののえらいハワイアンっぽいライトな編曲で(苦笑)、恐ろしいスケールを回しておりました。いやー、久々に聴くとやっぱあの曲凄いね(笑)。

 惜しむらくは演出ですね。演奏は超一流なのに、いちいちナレーションや余計な演出が入るステージングは、明らかにコンサートというよりはナイトショー。素人のおじさまおばさま向けの、今にも加山雄三が出てきそうなその演出が、せっかくの一流の演奏を三流以下のステージにまで貶めていたのが残念です。な~んか、N○Kの歌合戦とかそんな雰囲気なんですよねー・・・。っていうか、あのえらい昭和的俗っぽさの演出の数々、絶対裏でNH○が絡んでるとしか思えないんだよなー・・・。まぁ、ドミンゲス自身は「ギターさえ弾けてれば他は何でも幸せなんだよ」って感じの人っぽく、そんな安っぽい企画もまったく意に介する様子はなかったのですが。にしても、正直「静かに聴かせろよ、うるさい企画!」って何度も叫びたくなりましたね。『愛したがゆえに』や『チキリン・デ・バチン』のイントロのナレーションは本気でうざかった。演歌じゃねーんだから!

 まぁ何というか、そんな腐ったステージングはともかくとして、世の中まだまだ凄いギタリストがいるものだと、純粋にそう感じたステージでした。

2004年10月27日水曜日

ムベ

 「ムベの実を食べた」と聞いた時、「そんなモノはねぇ!」と突っぱねたものの、調べてみたらどうやらあるようだ・・・。アケビの仲間らしい。ムベ。

2004年10月24日日曜日

新潟にて地震発生!

 新潟で大地震が発生しました。1964年6月16日に昭和大橋を落としてその名を馳せたあの新潟地震に比肩する規模のその地震の発生を私が知ったのは、浅い眠りの中ででした。そう、ここ横浜・日吉も最初の二回の震度6強の地震の際は結構揺れたのです。

 午前中の客先作業を終え、ついでに新宿で買い物などして夕方に帰ってきた私は、家に着いたら疲れて軽く仮眠していました。すると、軽いコンッという衝撃に続いてゆらゆらと地面が揺れています。「ああ、地震だな」と寝ぼけた頭で思った私は、その時はいつか来ると言われている関東大地震がとうとう来るのかと実感なく身構えはしたものの、まさかその被害の中心が新潟だとは思っていませんでした。数分、部屋全体が船になって海で揺られているような大きな揺れが続いたものの、意外に揺れは小さかったので「ああ、これは関東大地震ではないのだな」と安心し、私はそのまま再び眠りについていきました。

 それからいかほども経たない内、PHSに「新潟が大変なことになっている!」という知らせが届きました。「マジか!?」とテレビのNHKをつけてみると、何と本当に酷いことになっているではありませんか!その時点(18:15頃)で小千谷や栃尾で立て続けに震度6強を記録する地震が2回も起き、新幹線が脱線したとか家屋が倒壊したとか火災が発生したとか停電が広がっているとか、とにかく不確定情報が様々に飛び交っています。電話回線もパンク状態で、私も実家にも友人にもつながりませんでしたし、報道ですら電話がつながらないため被害の状況が把握できていないというありさま。しかもまだ余震がずっと続いていると言います。「これは、さすがにやばいなぁ・・・」と危機感を覚えながら実家や友人に電話をつなごうとしていると、最初につながったのは新潟市内で映画を観ているところを襲われ、映画館を追い出された"インモラリスト" Pond-Field氏でした。彼曰く、隣のスクリーンでドンパチ激しいシーンやってるんだろうなと思っていたら映画が終わり次第エンドロールも打ち切られて、営業停止だと追い出されたとか。その後地震だと知り、家が三条の彼は誰かに連絡を取ろうとするも全然電話がつながらないなど、なかなかのスクランブルぶりだったようです。どちらかというと帰宅後送ってくれたメールに写っていた、背の高い本棚風のCDラックやCRTディスプレイが揺れでなぎ倒されている部屋の風景の方がスクランブルだったって説もありますが・・・。三条・白根の辺りはまだ揺れは小さかったらしいですが、とはいえ相当のものはあったようです。別の友人は「確かにこれまで経験したことがないような揺れだったけど、まぁ大丈夫」とのこと。何よりです。両親はというと電話が20時前につながった時は割に元気そうで、むしろ興奮気味に色々語ってくれました。「新潟地震の時はまずゴンッて大きな音がしてから揺れたから、今回も同じ音が聞こえて"ああ、来るな"と思った」とは母親、「震度6に直撃されなければウチの本棚は倒れないな。ステレオも大丈夫だった」と喜ぶのは父親です。うん、大丈夫そうです。とはいえ電話で話している最中も余震が来たみたいで、なかなか油断のならない状況は続くようです。

 23時の現時点で震度6強の地震は3回を数え、25万世帯以上での停電や火災等、結構な被害が出ています。大分回復して来たようですが、一時期は脱線した上越新幹線を含めJR全線運休、高速道路も閉鎖と戒厳令の世界だったとか。とりあえず私の周りは大丈夫なようですが、天災も人災も続いている新潟、やはり心配です。集中豪雨の時も言いましたが、呪われてますって絶対・・・。誰がどれだけ悪いことをしたんでしょう?そこんとこはっきりさせときたい今日この頃です。

2004年10月20日水曜日

ボウモアの作法

 これはある程度どうでもいいことで、しかも完全に個人的な趣味の話。

 ボウモアはよく言われるようにドライな海の香りや適度なスモーキーさといったバランスのとれた、非常においしいウイスキーだが、正直一杯目に飲んでおいしいウイスキーではないと思う。それはその味わいが、マッカランやクラガンモアに代表される華やかさや甘みやまろやかさといったわかりやすいおいしさでなく、控えめで渋い、ギターで言うなら歴史と伝統を重んじて最良の原料を手作りの真心で仕上げるステファノ・グロンドーナのような、静かな深みのある味だからかもしれない。あるいは確かに控えめではあるけれど、ある程度アルコールが回ってきて、ちょっとくらいの味の違いなら気にならないくらいに酩酊していても、口に入れた瞬間に「ああ、これはいいな」とわかるその深みからなのかもしれない。とにかく、ボウモアは一杯目に飲んで真価がわかるウイスキーではない。ビールでも日本酒でも焼酎でも何でもいいが、とにかく何杯か飲んで酔いも回った頃に、おもむろに一杯飲むのがいい。どんな酒をどれほど飲んだ後でも、ボウモアはその控えめな個性と内に秘めた深い懐でそれを口にした人間を導いてくれる。大事なのは、決して一杯目にはボウモアを選ばないということだ。

2004年10月19日火曜日

命の水

 書くことも随分たまってきたので、初の試みとしてここから時系列を遡って書いてみよう。記憶は数日も経てばもう鮮明さを失っていく。色褪せた記憶を無理に呼び起こすよりは、少しでも新鮮なものから書き留めておくことは案外悪くないんじゃないかなと思う。

 嬉野の温泉街で命の水に出会った。日帰り温泉で前日の運転疲れをほぐした後に、昼食を求めて立ち寄った店でのことだ。元々は豆腐料理がおいしい店として紹介されていたその店。昼時も過ぎたオフシーズン平日の嬉野温泉のその店は、私と彼女以外の客もなく、奥で料理を作りながら話す店主と奥さんの声が、そこから一番離れた席に座っている私のところでもよく聞こえるくらいに静かだった。料理を待っている間、お客さんからの寄書帳のようなものに目を通していたら、至る所に「命の水」という言葉が出てくることに気がついた。とろけるような豆乳仕込みの湯豆腐と、新鮮なちらしをいただいた後に、店主さんにその「命の水」のことを彼女が聞いてみる。他に客もいなかったせいもあるのだろう、店主はその水の効能について、早口で饒舌に、時に私には聞き取りづらい佐賀弁で話してくれた。店主としてはそれは料理の水として汲んで処理して使っているだけで、特別薬効を意識しているわけではないこと。でも交通事故で失明しかけた自分自身や、その水を分けた人達から糖尿やアレルギー、果ては癌までもが治ったという話が口コミで広がり、いつの間にか「命の水」と呼ばれるようになったこと。雑誌やテレビに出てから、色々と問い合わせがあるけど決して売ってはいないこと。けれども海外からも来る「命の水」を求める人達に、その水をあげると必ずと言っていい程「またほしい」と問い合わせがあること。宣伝もしたいのかもしれないが、店主は終止上機嫌にそれらのことを語ってくれた。そしてねだったわけでもないのに、私達に空きペットボトルに入れた「命の水」を分けてくれた。

 会計を済ませて店を出て、車に乗り込んで「思わぬものをもらったね」と彼女と話していたら、店から店主が外に出て来た。そして私達の車の方に歩いてくる。手には「命の水」が入ったペットボトルを一本。そして車のところまでわざわざ来て、「特別に一本ずつあげますよ」とそのペットボトルを渡してくれる。正直、その「命の水」の効能は本当のところどうだかわからないけれど、その店主の暖かな表情と、他に客がいなかったとはいえわざわざ店から出て車に乗っている私達を探してまで一本の水を届けてくれる親切さに、とてもいい気持ちになった。それだけでその500mlのペットボトルに入った「命の水」は、そう、本当に「命の水」なのだなと思えた。人の暖かみは、命あってのものだから。

 「"オマエは他に何もないんだから、この水だけでもあるならそれで人様の役に立て"と兄が言うんですよ」と店主は何度も繰り返していた。販売はしていない、一日20本しかできない、店主に直接手渡してもらわないともらえない「命の水」。少なくともそれは、命の暖かさを伝えてくれるのではないかなと、ふとそんなことを思った。

2004年10月13日水曜日

続・秋雨

 何というか、秋雨にも程があります。ここしばらく、頭上を照らす太陽をまともに見ていないような気がします。三連休中、計3回洗濯機を回して上がった洗濯物はまだ乾きません。土曜日の日に台風にやられビショビショになった靴もまだ乾きません。乾かないどことかもうカビが生えかかっていたので、今朝慌ててふきとりました。天気予報によるとどうやら明日も雨らしいです。今週はまだずっと天気は芳しくないようです。ああ、私の靴は一体いつ乾くのでしょう?

 ところで、人は一般に相手との心理的距離が遠かったり話題に困った際には、全人類共通の話題でありもっとも無難な天気の話をすることが多いという事実は周知のことと思います。ん~、何かここしばらく、天気の話しか書いてない気がするんですよね、この日記・・・。うむ、困っているのだな、俺。

2004年10月11日月曜日

Movable Type導入成功

 とりあえずMovable Typeの導入に成功しました。リビルドすると実行権限が外れるのでいちいちchmodかけなおさないといけないとか、色々細かい問題点は残っていますがとりあえず大枠はこんなものかなと。

 後はサイドバーにエッセイやら小説やらのリンクをこしらえたり、そういったユーザビリティ的な構築作業ですね。正式公開は目標10月中!頑張ります。

 ちなみに調査の結果、Movable Typeでリビルド(再構築)をかけた際、作成されるファイルに実行権限がついていないという現象はmt.cfgのHTMLPermsとHTMLUmaskという値の設定に起因するものらしいです。HTMLPermsのデフォルト値は0666、HTMLUmaskは0000で、これだと作成されるファイルのサーバ上の権限は666になるそうで。rw-rw-rw-・・・って、そりゃ実行権限ないわな。PHPって多くのサーバでは実行権限がなくても動いてしまうものらしいのですが、サーバによってはきっちり実行権限がついてないとInternal Server Error 500を返してくるので注意が必要です。リビルドで生成されるファイルの権限を変更したい場合、HTMLPermsを0777にするとサーバ上では777の権限を持って、加えてHTMLUmaskで0022を設定すると755になるそうです。ま、777だと危なっかしいから、ここは基本に忠実に755にしておきたいところですね。しかしHTMLPermsで0755って設定ではダメなんだろうか?というか、頭の0の意味は何?

2004年10月10日日曜日

MacOS XにImage::Magicを入れよう

 MacOS Xに画像加工ライブラリであるImage::Magicをインストールしてみましょう。コマンドラインからJPEG、GIFやTIFFといった形式の画像をいじれるライブラリで、画像のリサイズや減色、文字の書き込み等ができます。Webアプリケーションから画像を操作したい場合などに便利なライブラリです。詳細はhttp://www.imagemagick.org/をご参照ください。Movable Typeではファイルアップロードの際、「このイメージのサムネイルを作る」にチェックを入れた場合に、実際にサムネイルを作る際に使用されます。逆に言うと、その機能を使わないのであればなくともMovable Typeは動きます。

MacOS X用ライブラリ入手先
http://www.entropy.ch/software/macosx/welcome.html#imagemagick
1. OS 10.2用と10.3用の圧縮ファイルがおいてあるので、
   OSに合ったものをダウンロードする
2. ダウンロードしたファイルを解凍する
3. PKGファイル(インストーラ)が出てくるので、
   それを起動すれば後はインストールするボリュームを指定して
   指示通り進んでいくだけ
・・・と、上記のように割に簡単にインストールできます。

上記パッケージを入れる以外にも、どうしても最新版が使いたいということであればソースコードをhttp://www.imagemagick.org/からダウンロードしてきて自力でコンパイルすれば動作するそうです。ただしその際CodeWarrior Professionalが必要とのこと。私はその環境を持っていないのでソースコードからのビルドは試していません。
動作確認環境
MacOS 10.3.4
ImageMagick-6.0.0

2004年10月6日水曜日

あれ・・・?

 いつからついていたのだろう?部屋のエアコンがドライでつきっぱになっているのに気がついた。深夜0時を回っての帰宅のあとだ。エアコンのスイッチを入れた記憶があるのは、勢いよく降る雨の中で洗濯をして、部屋干しを余儀なくされた日曜の午後。ドライで洗濯物を乾かそうと試みたような記憶がある。

 ・・・それからつきっぱなしだったのだろうか・・・。

2004年10月3日日曜日

2004年10月2日土曜日

Jesus Crist Super Star

 半期末の久々怒濤の忙しさも、多少の余波は残るもののどうにか落ち着き、今日は一日ゆっくりと休んでいました。そしてやっと楽しみにしていたDVD、『ジーザス・クライスト・スーパースター』を観ることができました。いや、9/24発売で、Amazonで買って発売日当日に手元には届いてたんですけどね、あまりに忙しくて観れませんでした。以前に劇団四季の『ジーザス・クライスト・スーパースター ~エルサレム・バージョン~』を観て以来その音楽の虜になった私は、今回のDVD化を非常に楽しみにしていたのです。

 一応説明しておくと、このミュージカルの作詞・作曲はティム・ライス&ロイド・ウェーバー。『CATS』や『オペラ座の怪人』の作者として有名なこのコンビの出世作となったもので、『ウエスト・サイド・ストーリー』、『サウンド・オブ・ミュージック』に並ぶ3大ミュージカルとして1971年の初演以来全世界で上演され続けている金字塔です。ミュージカルにロックの要素を大胆に取り入れ、"ロック・オペラ"という新たなジャンルを切り開いたという意味では2000年以後に本格的に出てきた様式美形ロックオペラはもちろん、その先駆けのクイーンなんかより遥かに時代の先を行っていたわけです。さらに面白いことにこの作品、上演より先に1969年にまず音楽アルバムの方が先にリリースされているのです(ちなみにその際のイエス役はDEEP PURPLE等での活動で名を馳せる、かのイアン・ギラン!不滅の名盤『Live in Japan』での熱唱を鑑みるに、さぞかしクレイジーなイエスだったことでしょう・・・)。そしてそのアルバムが見事に売れて、当時まだ無名だったティムとロイドの上演資金ができたというのは有名な話。上演より先にアルバムだけ出して、しかもそれが売れてしまう程音楽のクオリティが高いわけです。

 話は新約聖書、イエス・キリストが磔に処されるまでの最期の七日間をミュージカル化したというもの。といってもその視点は救世主としてのイエスではなく、人間としてのイエスであり、ユダであるのです。崇拝するイエスの教えが歪んだ形で大衆に広がっていくことや、マグダラのマリアの愛の中に無条件で沈んでいくイエスを憂い、何度も昔の理想を思い出せとイエスに問うユダ。「誰も私を理解しない」と頭を抱え、自らを待つ死の運命を悟り、その死を恐れ、闘い、「死を乗り越えるには死ぬしかないのだ」「神よ、何故あなたは私を見捨てたのですか」と叫ぶイエス。そこにいるイエスやユダは神でもその子でも救世主でも使徒ですらなく、ただ一人の人間です。実に人間として生々しいのです。理想の挫折と裏切りに苦しむユダ、救世主としての恍惚と重圧、死の苦痛を抱え込んだイエス、自分でも制御できない愛情と残酷な運命に引き裂かれるマリア、後に責められるのを恐れ、できればイエスを処刑したくないものの大衆の重圧に負けて最期には磔を命ずるピラト・・・。彼らの誰もが英雄ではありません。等身大の人間です。それがこの作品の魅力であり、初演後30年を経た今も繰り返しリバイバルされ、リメイクされていく普遍性の所以なのだと思います。劇団四季の浅利慶太氏は1973年の劇団四季版初演の際、この作品に心をひかれた理由として以下のようなことを言っています

 人類の歴史には釈迦とか、イエスとかマホメットとか、偉大な予言者達が登場してきました。実際のその人達の生の現実は、後の世の人達のイメージではとらえられぬほど、なまなましく、激しく、それ故に輝かしかったと思います。生きとし、生けるものとしての愚かしさも持っていたと思います。

~中略~

 偉大な指導者や予言者達の傍にはつねにより添うように或る人物が登場してくる。人間的で、冷静で、理知的であるが故に、魂の中の傷をかくしている人間です。この両者は光と影のような相関性を持っています。

~中略~

 この人たちは大きな役割のなかで常に謎のある生き方をしている。疑問符のつくような人生をいきているからです。したがってこの人たちは常に文学的テーマを刺激します。文学者の挑戦する対象となります。

 さてこの作品、ミュージカルから映画まで色々な団体が上演、リメイクをおこなっておりますが、解釈や見せ方が各々かなり違います。例えば舞台設定だけ見ても、私が見た劇団四季の『エルサレム・バージョン』やノーマン・ジェイソン監督の映画版は当時のエルサレムを舞台に比較的正統的なイメージで見せてきますが、同じ劇団四季でも『ジャポネスク・バージョン』になると役者全員歌舞伎調のメイクをして、和服っぽい出で立ちに竹槍なんかで立ち回ります。そして今回DVD化されたゲイル・エドワーズ監督のリメイク版では舞台は現代。イエスはチノパンだしユダはTシャツに革ジャンだし、シモンはGパンに海兵隊カット(?)のさわやかティーンズだし、もはや何でもアリです。舞台をどこのどの時代に移しても色褪せることのない普遍性がこういった形でも証明されています。

 これらの作品の中で私が知る限りでは音楽のクオリティはアンドレ・プレヴィンが音楽監督をしているノーマン・ジェイソン版が一番クオリティが高いですし(これは映像は現在絶版、サントラのみ流通中)、舞台としてよくまとまっているのは劇団四季版だと思います。今回のゲイル・エドワーズ版はユダとイエスの確執をもの凄く鮮明に打ち出していて、最後の晩餐での彼らの口論の場面やその後のゲッセマネの園でのイエスの独白の迫力は凄まじいものがありました。対して、現代的な卑俗さの強調の仕方もまた強烈で、人によってはそこが多少鼻につくかもしれません。ですが、このエドワーズ版の現代という舞台設定は作品の世界観的には実は至極妥当なようにも思います。というのは、最期のクライマックス、主題歌『スーパースター』を歌いながらユダがイエスに語りかけるように、「イエスは本当に聖書が語るような英雄だったのか」というのがこの作品の根底を流れるテーマだからです。『スーパースター』の歌詞の中で、現代に転生したユダはイエスにこう問いかけます。「もし世を救いたかったのなら、何故メディアも何も発達していないあの時代のあの場所を選んだのですか?この現代ならメディアも発達しているし、あなた程のカリスマ性があれば世界を手中にすることもできたでしょうに」と。この辺りが初演時に「冒涜だ」とあらゆる宗派から直接会場前で抗議のデモを受けたというところにもつながってくるわけですが、まさにそこがこの作品の価値でもあります。「どんな英雄でも、結局はただの人間だったんですよね」と問いかけ、またその人間という側面を浮き彫りにすることによって生というものの再認識を図る。それがこの作品なのだと思います。そしてジェイソン版は『スーパースター』の問いかけに対する一つの答えという形で提示されたものではないでしょうか。もし、イエスが生きた時代が現代だったら。彼は、聖書とは違った生を送ったのでしょうか。

 最期に、この作品の魅力溢れる音楽達について。ミュージカルにロックの要素を取り入れて"ロック・オペラ"という(今じゃ割に普通に耳にするけど)1970年当時前代未聞の領域を切り開いたこの作品。正直、あれはロックの範疇超え過ぎです(爆)。いや、やりすぎなんですよ。ロックというには複雑すぎるんです。1980年代に入ってDream Theaterが出てきてからはああいった転調や変拍子がガンガン出てくるロックも一般的になってきましたが・・・。ああ、でも1969年には『LED ZEPPELIN 2』は出てるから、その意味ではギリギリ普通に前衛的なだけとも言えるのか・・・。でも普通にディストーションかかったエレキギターが七拍子でギンギンにリフ刻み続ける曲とかあるしな(爆)。まぁその時代的是非はともかくとして、その『The Temple』という曲は個人的には前半最大のハイライトの一つだと思います。イエスの宮殿に突然現れた盗賊商。卑俗な欲望が渦巻くその光景を見て激怒したイエスが怒髪天の勢いで全員を叩き出し、一人嘆きます。そこに嘆く暇もなく一人、また一人と「病を治してくれ」「人生を変えてくれ」とイエスの口づけを求め群がってくる人々。盗賊商のマーケットの賑わいを表すギターのリフレインからイエスの苦悩の独唱、そしてその苦悩を突き破り、一人、また一人と救いを求めるものが現れる度に最初のギターリフがアッチェランドをかけて戻ってきて、最期にはイエスを飲み込んでいくドラマチックでスリリングな展開が素晴らしい名曲・名場面です。そしてその後に続く有名なマリアの独唱『I Don't Know How To Love Him』も美しい曲ですし、高価な香油を塗ってイエスを休ませようとするマリアに、もっと民のことを考えろと怒りをあらわにするユダ、その二人にイエスも混ぜた三人の駆け引きが見事な『Everything's Allright』も個人的には好きな曲です。そして後半の始め、これまでの日々を歌う使徒達の合唱から入る『最後の晩餐』は、「そのワインは私の血、そのパンは私の肉」と歌い、最期の時が近づいていると告げる悲嘆のイエスと、「どうしてこんなことになってしまったんだ」と思いのたけをぶちまけるユダ、その裏で続く使徒の合唱、それらの組み合わせがとてつもない緊張感と美しさを持つ曲です。これと続く『ゲッセマネ』は今回のDVDのものが一番いいですね。感情の吐露が非常に生々しくていい。そして誰もが一度は聴いたことがあるであろう主題歌『スーパースター』。他にも魅力ある音楽達を聴いているだけで舞台が終わってしまうような名曲ばかりです。

 相当な勢いで長くなってしまいましたが、この『ジーザス・クライスト・スーパースター』、素晴らしい作品ですので機会がありましたら是非触れてみてください。ちなみに、新約聖書のあらすじくらいは知っておいた方がより一層楽しめると思います。熱心党とかペテロの否認とか。