2001年12月29日土曜日

2001年流行語大賞

 年の瀬です。社会人になり「忘年会シーズン」という言葉も何だかやけに身に染みるようになってきた私は、昨日は飲み過ぎて帰るなり即潰れるといったような凄まじいことになってしまいました。記憶とかは飛んでないのですが、とても起きてられる気力はなかった・・・。酒、弱くなってる気がしますねぇ・・・。っていうか昨日は私が幹事で、間違って酒を頼みすぎてしまって「あちゃ~、仕方ねぇ、こりゃ責任取って飲むしかねぇな」とピッチャーをほとんど一人で空けるようなマネしてたせいでもあるのですが。う~ん、もう若くはないんだからあまり無茶はしない方が身のためですね(苦笑)。

 とりあえず今年の流行語大賞を発表しておきたいと思います。昨年は『アンニュイ』が大賞の座を得ましたが、今年の大賞はズバリ『ザックリベース』です!これは凄い言葉ですよ。例えば上司に「この作業どのくらいでできる?」と聞かれて、私が「そうですねぇ、ザックリベースで一週間ってところでしょうか」と答えたら、なんと誤差が前後一ヶ月あります(笑)。とてつもなくザックリベースです。この言葉は我がグループ公認の流行語大賞となってしまいましたので、やはりこのHPでも流行語大賞として祭り上げてしまいたいと思います。皆さんもさぁ、使ってください、「"ザックリベース"でお願いします」と!

2001年12月25日火曜日

お忍びだったのに・・・

 昨日、今日はお忍びで京都に出かけていました。が、お忍びのはずがしっかりと私が京都にいるところを京大の聖帝殿に見つかってしまい、目撃情報が流出してしまったため(爆)、お忍びのはずが公に出てしまうこととなりました。

 今回はちょっと大阪の方に遊びに出てて、大阪城公演のクリスマスイベントなどを堪能してきたわけですが、そのクリスマスイベント、まぁゆーたら大阪城公園の関西最大級というクリスマスツリーの下で行われるコンサートなわけですが、のっけに出てきたのが『まほろば楽座』とかいう民族音楽をやってるバンドで、その名前から私は二回生までクラギタにいて独自の民族音楽サークルに専念するため去っていった某Sのグループかと思っていたわけですが、どうやらそれとはまったくの別団体だったようです。しかしイルミネーションの艶やかなツリーの下に響く三味線ロックはかなり相当熱いものがありました。後に出てきたゴスペルグループもいい味出してましたしね。そしてその後私は弟の家を急襲、そこで聖帝殿に目撃をされてしまうわけです(笑)。いや~、そういえば彼の家あの近くでしたね。

2001年12月23日日曜日

動乱の年の瀬

 さてさて、次にヤツらが動くのは一体いつなのでしょうか?そもそも首謀者がかなり危機的状況にあるらしいとの報道も入っている現在、再びヤツらが動くかというのも問題なわけですが、まぁ仮に動くとしたらそれはいつかということですね。私が首謀者なら明後日を狙います。そりゃもう確実に狙います。敵対する異教の聖なる夜に、ただ黙ってじっとしてるはずがありません。むしろそこを狙って派手に事を起こし、神の名もろとも穢してやらんとすることでしょう。前回の京都駅テロはただのデマに終わってしまいましたが、今回の私の「思いつき予想」も同じ運命を辿るのでしょうか?まぁ所詮単なる思いつきですから何でもいいんですが。

 そういえば今、アメリカの『Time』誌がHuman of the Year 2001の投票をインターネットで受付けています。見事一位に選ばれた人は新年最初の『Time』誌の表紙を飾るわけですが、皆さん誰が一位になると思います?ちなみに去年はブッシュ大統領でした。では今年は?順当に行くなら首謀者(?)ビンラディンでしょうか。しかし、現実はどうやら物凄いことが起こっているようです。今は亡き(といっても実質あるけど)日本のインターネット・サブカルチャーの代表格、超巨大BBS群『2ちゃんねる』、その常連達(俗に2ちゃんねらーと呼ばれる)が徒党を組んでその『Time』誌の投票に参加、現時点での一位がなんと彼らの力でMasashi Tashiroになっているらしいのです!!! しかもいきなり『田代まさし』とか言われても向こうじゃ知らん人も多かろうと、彼らはMasashi Tashiroを紹介するホームページまで作り、そこでマーシーを「He's Worldwide Photographer」とかわけのわからん紹介の仕方をしてブチ上げているらしいのです。おそるべし2ちゃんねらー・・・。っていうか、「He's Worldwide Photographer」って、違うだろ、明らかに。っていうか盗撮じゃん、あれ!? そうそう、余談ではありますが、同じく2ちゃんねらーの方々の力で同アンケートの五位くらいにはさっちーこと野村某も食い込んでいるらしいです。マジかよ、オイ・・・?

2001年12月21日金曜日

ちょっと悲しい

 無印の入浴剤、結構たくさん入ってるように見えて実は意外に早くなくなるもんなんですね・・・。

2001年12月20日木曜日

空白について

 さてさて、昨日の空白の日記ですが、皆さん如何思われたでしょうか。「おや?書き忘れたのかな?」とか「ネットの調子が悪いのかな?」と思われた方が大半でしょうが、実はあれは狙ってやってみました。「そろそろ日記にも前衛芸術の波を取り入れていこう」とわけのわからんことを思い立った私は、まず手始めとして音楽においてあの有名な『ケルンコンサート』、五分半の空白の芸術があるように、前衛の基本である「空白」から試してみようと考えたわけです。ほ~ら、無心で下の空白をじっと眺めていると、空白の中に浮き上がってくる文字や心情があるでしょう?

 ・・・というのはまぁ半分本気、半分冗談にしておいて、何はともあれ昨日の日記の空白が確信犯であることは本当です。さて、この一日分の空白の中、私は一体何を語りたかったんでしょうか?・・・実はただ単に何も語りたくなかっただけかも知れません(爆)。

2001年12月17日月曜日

さて、

 ハトがポンッと爆発すると、・・・二羽に増えます。

2001年12月16日日曜日

『古いメダル』

 『古いメダル』という曲をご存じでしょうか。アグスティン・バリオスの隠れた(?)名曲で、私が二回生の時独重で弾いた曲でもあります。和音とその声部の動きで淡々と進んでいく静かで憂いを帯びた、地味ではあるが美しい曲なのですが、この曲は私の中で少し特殊な位置付けにあります。特別何度も聴きたいという程好きなわけでもなく、『大聖堂』や『最後のトレモロ』のように強い思い入れがあるわけでもまたないのですが、何故か突然この曲が頭の中を回って離れてくれなくなることがあります。この曲は地味で淡々としていて、派手さがあるわけでもなく劇的に盛り上がっていくわけでもなく、クラシックに馴染みのない人などは「なんて退屈な曲だろう」と思ってしまわなくもない曲なのに、何故か色彩感というか、曲から駆り立てられるイメージは物凄く強烈なのです。ジョン・ウィリアムスの『バリオス作品集』のライナ-ノ-ツの中では「絵巻物語のような」と例えられていましたが、まさにそのような感じで、淡々と少しずつ変化していく響きの中に、何処か古風な、静かでありながらも遠くまで響き渡るような、あるいは霊的とすら感じ得る何かがあるのです。ただただ平穏な、喜びも悲しみも、希望も絶望もなく、ただ平穏な表情が、あまりに平穏すぎて寂しげにも見えるように。流れる音楽の中に物語が見えるのです。決して劇的なものではない、むしろつまらなくて取るに足らない話かもしれないけれど、何故か心を打つ小さい叙情的な物語。あるいは叙情的な物語を叙事的に描いた物語。不思議な曲です。一回聴いただけでは印象に残らないような、でも何回聴いても特に印象が変わるとも思えない曲なのに、ふとした瞬間にそのイメージが頭の中で膨らみ、曖昧とした物悲しさのような、懐かしさのような、ふと訪れてくる寂しさのようなものを与えていきます。私は基本的に宗教などを信じるわけではないのですが、神を信じる人達のいう神秘的なとか、敬虔な、といった感情とはこのことなのかもしれません。この『古いメダル』という曲にそのような思いを抱くのははたして私だけなのでしょうか。

2001年12月13日木曜日

予告や如何に?

 さてさて、明日はいよいよ某苦三味亭殿がテロの実行を予告していた日です(こう書くと彼が実行するみたいだが、そこは敢えて確信犯としてこう書かせていただく)。さてさて、何が起こるのでしょうか。私はとりあえず朝、人がギチギチに詰まる急行には乗らず、多少なりとも余裕のある各停で会社に行く程度の警戒はしておこうと思っています。とりあえずは実行予告のあった京都近辺にお住まいの皆さん、サバイバルナイフに防弾チョッキくらいは用意しておきましょう。

2001年12月12日水曜日

一呼吸

 今日から久々にアプリケーション部分の開発に戻ってきました。これまで数カ月間、ひたすら一般のアプリケーションが動くところの下の階層、ある意味コアな部分を作り続けてきたので、一般に目に見える部分の開発をするのは結構久しぶりです。いや~、やっと上の階層に上がってきたって感じがしますね。一息つかないと。

2001年12月11日火曜日

歌うためには

見るためには 聴かねばならぬ
聴くためには さわらねばならぬ
知るためには 歌わねばならぬ
たとえ世界が どんなに難しい調べだとしても
歌うためには まず 醒めなければならぬ

寺山修司『棺桶島を記述する試み』より


 だが、果たして我々は「醒める」ということができるのだろうか?そもそも、「醒める」とは一体何を意味するのだろう?

2001年12月10日月曜日

『トナディーリャ』練習開始

 さてさてBBSでは某苦三味亭殿が大胆にもテロ予告をしてくれておりますが(笑)、皆さん如何お過ごしでしょうか。私は今日はぼちぼち体力も回復し、一日じっくりとギターを弾いて過ごしていました。ここんとこ週末はずっと京都でギターを弾く時間もあまりありませんでしたからね。ああ、平日の仕事が恨めしい・・・。

 今日はそろそろ新しい曲を弾いておこうと思い(『羽衣伝説』は余興。あれは弾きたいとこだけ弾ければよい)、Angel Barriosの『トナディーリャ』を弾きはじめました。藤井敬吾先生の最後レッスンの日、先生に頼んでいただいてきたものです。ずっと弾く気はマンマンだったのに、何故かこれまで軽く目を通す程度であまり本気で弾いてなかったのですね。2分間スペインの風邪、・・・違うよ風だ、を巻き起こすだけ巻き起こしてあっという間に過ぎ去っていくこの曲は、力強く歯切れのいいベースの消音がミソとみました。ちょいとばかりしんどいところもありますが、基本的に弾きやすい曲です。ただしあの疾風のようなところまでスピードを上げられるかどうかはまた別問題なのですが・・・。しかしあれですね、社会人になってから、新しい曲に目を通してみて「う~ん、これなら一週間あればゆっくりならとりあえずは曲になるかな?」とか目算を立ててみても、実際は平日弾けないのがたたって一ヶ月とか、下手したら二ヶ月かかったりしてしまいます。どうにか平日に一時間だけでいいからギターを弾く時間が作れないものなのでしょうかねぇ・・・?

2001年12月9日日曜日

乳酸菌と抗生物質

 ふと思った。抗生物質を飲んでいる時にヨーグルトを食べたら、抗生物質によって乳酸菌も殺されてしまうのだろうか?冷静に考えれば大きな問題である。体にいいかなと思ってヨーグルトを食べてみても、その体にいい原因である乳酸菌がやはり風邪を治すための抗生物質に殺されてしまうのではしかたない。しかもその場合、乳酸菌を殺すのに抗生物質側も余計な労力を使ってしまい、肝心な風邪の菌を殺す力が多少なりとも弱まってしまうのではないだろうか。・・・これはゆゆしき問題である。抗生物質の働き方を普通に考えれば、やはり抗生物質は乳酸菌まで殺してしまいそうだ。でもやはりヨーグルトは食べたい・・・。大きな大きなジレンマ。これを抗生物質とヨーグルトのジレンマと名付けたいと思う。

2001年12月8日土曜日

発熱39度

 昨日は会社にいる間部屋にいても寒くてたまらず、体も異常にだるいし頭もボ~ッとするしで散々でした。「何かがおかしい」と珍しく八時前に仕事を切り上げて、帰って熱を計ってみたら・・・。なんと39度超の高熱が出ているではありませんか。そらしんどいはずだわと思いつつ、とりあえず以前に会社の保険組合からもらっていた『ナロンエース』と、咳もやけに出ていたので「まぁ効くだろう」と喘息の気管支拡張剤および『紫朴湯』を飲み、飯もそこそこにグッタリとしていました。

 しかし、39度超もの熱、よく風邪をひく方ならおわかりになると思いますが、ここまでくると『ナロンエース』や『バファリン』といった市販の解熱剤レベルではなかなか下がってくれるものでもありません。投薬後三時間半が経過しても39度台をキープし続ける熱に、「う~ん、こりゃやばいなぁ・・・」と思いながら新たな手を考えなければなりませんでした。「そういや以前医者にもらった抗生物質って、まだ残ってたかなぁ?」と思い、薬入れをガサガサと漁ってみます。すると、果たしていつのものかはわかりませんが微妙にカプセルも変色しているような気もするセフェム系抗生物質『ケフラール』が出てきました。いつのだったっけ、と思い出そうとしてもなかなか思い出せず、おそらく一年か二年前のものだろうと当たりをつけて、「まぁ、・・・大丈夫だろう」と飲んで眠りにつきます。約一時間半後、目覚めた時には熱は37度台後半まで下がっていました。どうやらいつのものかわからない抗生物質は効いてくれたようです。そしてとりあえず帰る時に買ってきておいたミカンを食べ、このまま寝るかどうかを思案します。そこで私は思い出しました。「・・・そういや葛根湯があったなぁ・・・」。葛根湯は基本的に汗をかかせるのが目的の薬で、それ故体力がまだ残っている風邪のひきはじめによく効く薬です。熱と寒気がメインならなおさらです。私はちょっと自分の体調を探ってみて、「・・・ふむ、数時間39度台の熱にやられていた割にはミカンも普通に食えたし体力は残ってそうだな」と判断、葛根湯の投薬を決めました。そして汗をかいてもいいように背中にタオルを突っ込んでおき、そのまま眠りにつきました。そして案の定汗まみれで眼が覚めたのは朝方4時くらい。もうパジャマまでびっしょりだったので、新しい冬用のパジャマ(今まで夏用だった)に着替えて水分を補給して眠りにつきました。次に朝七時に目覚めた時、熱は36度台まで下がり、体も意外にさっぱりとだるさの取れた状態で起きれましたとさ。とはいえ昨日も朝は36度台だったし、さすがに39度台の熱が出た直後だったので会社はお休みをいただき、一応病院にいって古くない、カプセルが変色してたりしない抗生物質をもらってきて一日のんびりしていましたとさ。皆さんも風邪には気をつけましょう。

2001年12月5日水曜日

風邪気味

 う~む、二週連続の京都行き敢行で微妙に身体的に休まる暇がなかったせいか、どうやら微妙に風邪をひいてしまったようです。そういや職場でもあらゆるところで嫌な咳をしてる声が聞こえてくるしなぁ・・・。まぁまぁ流行り風邪なのでしょう。私も昨晩辺りから結構嫌な咳をしています。とりあえずドリスタン滋養液でも飲んで寝ることとしましょう。

2001年12月4日火曜日

古代ケルトの「時」

 古代ケルトの人々は、「時」に対して非常に敏感だったように思います。あるいはその「時」がもたらす変化に対して、あるいはもっと究極的には「生」と「死」に対して、彼らは正面から向き合い、感じ取り、畏れ、そして立ち向かっていたように思います。それはもしかしてただのあがきだったのかも知れませんし、真に霊的な何かに近付けていたのかも知れません。今の時代は、そんな感性が乏しくなってしまったのではないでしょうか。刹那的な一瞬の連続が時をつなぐような時代。先も出口も目的地も、何も見えないようにすら感じる瞬間があるような時代。僕らは「時」が真に「流れる」ということを感じられるのでしょうか。ふとそんなことを思ってみました。

2001年12月3日月曜日

2001年度BKC定演所感

 この週末も先週に引き続き京都・滋賀まで出陣、今度はBKCの方の定演を見にいってきました。ん~、いやいや基本的に今のBKCは粒が揃っているだけに安心して見ていられる演奏会でしたね。大合奏の最後のスペ花ではベースは回るは一輪の薔薇は投げられるはで、なかなかパフォ-マンス性にも富んだ(?)演奏会でよかったと思います。しかしやはりCステージは全体的にパワー不足が少々気になりますね。うまいのに音がしっかり抜けてこないしダイナミクスが小さいからもう一つ最後の説得力に欠ける。なんというか、KICもBKCも「音をしっかり出す」ということをもう一度見直してみてほしい気がします。『羽衣伝説』弾いて客を驚かせるのもいいですが、それができたからって『アルハンブラ宮殿の思い出』で聴き手を感動させることができるかと言えばそうではないですよね。難しい曲を弾いて自己満足で終わる演奏より、簡単でもいいから聴き手を引き込んでいける演奏をしてほしいなと今年の両定演を見て強く感じました。ともあれクラギタの皆さん、お疲れさまでした。来年もしつこくまた見に行きますので、素晴らしい演奏を聴かせてください。

 そして定演終了後はキムとたっちー、そして京大の聖帝殿と西大路七条で飲み交わし、しんちゃん邸に襲撃をかけて京都の夜は暮れていきましたとさ。っていうかさすがに二週連チャンでいくと体が休まらないっすね。ちょっとばかり疲れましたよ。来週はのんびりした週末を過ごそう・・・。