2000年5月31日水曜日
風景の見える音のスケッチ
この作品の構想はちょっと前に思い浮かんで、それからずっと書こう書こうと思っていたんですけど時間がなくて書けなかったんですよね。で、今日も本来なら書く時間はなかったはずなのですが、どうも精神状態が停滞気味で一日引きこもりをしてしまったがために書く時間ができたと。多分これが書きたかったんでしょう。私にとって表現の欲求とは心の膿のようなもので、たまに吐き出してやらないとどんどん鬱屈した状態になっていくんですね。で、今回それが一段階目の限界に差しかかっていたため精神が停滞して一日引きこもりを起こしたと。何しろ作品を仕上げるまで飯も食いませんでしたからね。そして仕上げたらひょいと5時過ぎに家を出て部活に行っちゃいましたからね。まぁそういうものなのでしょう。
2000年5月30日火曜日
待ち受ける旋律の内定者研修・・・?
2000年5月28日日曜日
2000年5月27日土曜日
やっと取得した運転免許
まず、書類の確認をしに受付に向かうわけですが、そこで写真と住民票の期限が切れていると言い渡されてしまいます。写真は就職活動で余っていたのがあったので、それを代わりにして問題なくいけたのですが、問題は住民票です。受付の一曰く、「近くに区役所があるんで、まだ時間ありますから取りに行ってください」。それで私は泣く泣くタクシーで往復1,250円払って新しい住民票を取りに区役所まで行ってきました。わざわざそんなことまでしたのですから、もう今日落ちるわけにはいきません。また出直してくるんだったら家から堀川にある市役所に自転車で住民票取りに行ってます。そのプレッシャーもあり、合格発表の時は就職試験の時より緊張しました。いや~、受かっててよかった・・・。
2000年5月25日木曜日
就職先変更
2000年5月23日火曜日
やりたいこととは - 就職活動とからめて
「自分のやりたいことがわからない」。就職活動を皆が始める時期に差しかかってから、そのような台詞をよく耳にするようになりました。気持ちはわかります。コンピュータがやりたい、音楽に関わりたい、曖昧なビジョンは何となく持っているものの、それが本当に自分のやりたいことなのか、迷いを持っている人をたくさん見てきました。「自分のやりたいこと」、そのビジョンがまだ定まっていないから進路決定も曖昧なまま、とにかく世間の就職シ-ズンという波に流されて動いている、そんな人をたくさん見てきました。「自分のやりたいこと」というものは意外に自分では見えにくいもの。それは自分が楽しい、充実していると感じられる瞬間が、一つの事ではなく色々な面にわたっていたり、あまりに日常的すぎて小さなつまらないことに思えてしまうものだったりするからでしょう。それを「自分のやりたいこと」というキーワードで探し出そうとするからはっきりしたものが見えなくなる。多分そんなところなのだろうと思います。発想を変えてみたらどうでしょう?自分がやりたい「こと」を探すのではなく、どんな「こと」、あるいはどんな「とき」に自分は楽しいと思い、充実していると感じられたのか。その場面を想定すれば、それこそこれまでの人生の中の種々雑多な場面が思い起こされると思います。しかし、その一見雑多に秩序のないように見える楽しい時間には、何かの共通項があるはずなのです。例えばそこに音楽があったとか、気の合った仲間がいたとか。その共通項が見つかったなら、その共通項こそがあなたが楽しい充実した時間を過ごせるための条件なのです。後はその条件を満たせる進路を決めたらいい。やりたい「こと」から探すから迷うのだと思います。順序は逆なのでしょう。自分が楽しい、充実していると思えるための条件があったからこそ、それが楽しい「こと」であり、やりたい「こと」になりえたはずなのですから。
ここにきて、私はまた、私はまだ迷っています。自分が本当に素晴らしい時間を過ごせる条件は何なのか、それはわかっています。しかし、目先に私を迷わせる色々な条件がぶら下がっています。その表面的なものに自分が迷わされないために、私は自分自信に対する確認のために今日のこの日記を書いています。私にとって進路決定で一番重要なことは、自分がそこで充実した時間を過ごせること。そのための条件はわかっています。ならばそれが最優先事項。それをもう一回確認したかったのです。自分の迷いをとるために。魅惑的な幻影に、自分の道をミスリードされてしまわないように。
2000年5月22日月曜日
おぼつかないからこそ堂々とやれ
おぼつかないからこそ堂々とやれ
照れるのが一番下手
微妙に私がステージに上がる時の哲学とよく似ています。だからこそ興味を持ったんでしょうけど。ステージに立つ時、それは不安も緊張もありますが、だからといってそれに屈してビクビクした態度で舞台に上がっていって、おどおどとした礼をして、縮こまるようにして椅子に座って、そして恐る恐る最初の一音を出していたのではいかんのです。たとえそれが完全なハッタリであったとしても、ステージに立つ時は常に堂々としているべきなのです。パフォーマンスなんかじゃありません。堂々としていないと自分の気持ちが舞台の空気に負けてしまい、結局いい演奏ができないのです。もちろんビクビクした態度で壇上にいたんじゃステージマナーにも反しますが、それ以上に堂々とした態度でいることで自分の心に暗示をかけるというような面が大きいのです。音楽というのは自分が思っている以上に精神状態が反映されるものだと思います。そして精神と身体は実に密接な相互関係にあると思うのです。いや、ただの私の経験上のカンですけど。だからこそ堂々とした態度でせいぜい大物ぶってステージでの立ち居振る舞いを行うべきでしょう。そうすることで何処か心も堂々としてきます。そしてそれは演奏へと直接フィ-ドバックされていくのです。そして、言うまでもなく最高の演奏こそが最高のパフォーマンスなのです。そのために心が負けてはいけません。特にライブが素晴らしい演奏者で、態度が情けなく感じる人はいません。まずはともあれ態度から。そのくらい言い切ってもいいと思うのです。
ただし、それも本番当日の話。本番前までの練習がやはり何よりも一番大事なのですけどね。しかし、本番自分がそれまでやってきたことを、成果を充分に出すためにはそういったことも必要なのではというお話でした。本番になると練習程うまく弾けないとお悩みの方は試してみては如何でしょうか。ただ、なんだかんだ言って一番本番頼りになるものはそれまでにやってきたことです。本番までにもうこれ以上できないって言うくらい頑張って、それでも弾けないところがあるのなら、あとはハッタリでもなんでも堂々とした態度でステージに立てば少なくとも本番練習より酷くなることはないです。それは断言できます。が、本番一ヶ月前になっても毎日一時間ちょいの練習くらいしかしないでステージに立つような程度だと保証はしかねますねぇ・・・。私が今日述べたある意味での精神論は、練習の成果を100%~200%引き出すことは確かにできますが、その練習の成果、ってのが最初からないのでは話になりませんからね。
独重に出る皆さん、頑張ってください。
2000年5月21日日曜日
腱鞘炎・・・?
2000年5月19日金曜日
合奏団、勧誘
・・・というわけで、次に行ったら私の名札の右上には朱色の筆で「合奏団」と書かれていることでしょう。見て驚くなよG.S.J.K.に現職C技。
2000年5月18日木曜日
PCKショック
そう、昨日書き忘れましたがピエッリのコンサートは全部MDに録ってあるので聞きたい方は連絡を。音源が録音されてない曲やら独自のアレンジものやらあって結構貴重かも知れません。録音状態はブ-トレッグと考えるならかなりいい代物だと思います。この調子でヨーク&木村大もムラジカオリも録ってきてコレクションを増やしていくつもりです。
2000年5月17日水曜日
アルヴァーロ・ピエッリ@豊中アクア文化ホール
コンサートはまずバッハのリュート組曲と無難なところから始まったのですが、2曲目からいきなり寝てるヤツがいる。しかも寝てるだけならいいのですが、そのイビキが会場中に響き渡ってるんですね。ピエッリもさすがにあそこまで大きいイビキは気になるようで、演奏中にイビキが聞こえてくる方を何度も睨んでいたと思ったらリュ-ト組曲が終わった時点でいきなり「私は日本語が話せなくて申し訳ありません。皆さん疲れていて眠たくなるのはわかりますが、あまりに大きいイビキは周りに気になさる人もいます。そういうふうに寝たいのなら外で寝てください」と英語でスピ-チ。会場には小さな笑いが起こりました。そらねぇ、あそこまで容赦なくイビキかいたら言いたくもなりますよ。休憩時間には話す人間皆あのイビキはないだろ、みたいなこと話してましたし。そして次の曲ジュリアーニの『ロッシアーナ第一番』に移るわけですが、コイツが実に素晴らしかった。曲の作り方が非常にうまい。かなり感動詞ながら聞いてました。で、突如またスピ-チを入れ、「プログラムにはありませんが次の曲を演奏する前にバリオスの曲を2曲」と『フリア・フローリダ』に『最後のトレモロ』を演奏。ちょっとサービス(?)してくれたようでした。
が、次の曲が終わって休憩をはさんでからは意味不明な特殊技法が渦巻く現代曲のオンパレード。しかも長い長い。最後嵐のように激しく意味不明なカッティングの技でヒナステラの『ギターソナタ』を締めた後、さらに3回のアンコール。それもブローウェルの『シンプルエチュード』のランダムメドレー特殊技法付き。やられました。アンコールまでそれかい!そして終わってみたら時間は9時45分。実に2時間半以上の恐ろしく長いコンサートでした。
このピエッリというギタリストは音色はプロにしては少々粗いところもあるのですが、それ以上に曲の作り方が非常にうまく、その意味では物凄い勉強になりましたね。異様にたくさんの特殊技法を見せてもらったのも面白かったです。・・・が、長い!!!!! コンサートが終わった時には私も一緒に行った現職C技もすっかり疲れ果ててました。ああ、しんどい・・・。
2000年5月16日火曜日
ネットオークション初体験
2000年5月12日金曜日
就職活動終結宣言
いや、本当は明日回る予定だったNKエ◯サとコ◯ルコシステムくらい行けることまで行ってみようかなとも思っていたのですが、明日あるクラギタの新歓演奏会で何か一曲弾いてくれとの依頼を一昨日受けたもので、丁度内々定をいただいていた企業さんに返事を出すのが昨日だったということもあり、この際これを機に完全に就職活動にピリオドを打ってしまおうと思い立った次第です。第一志望群の中の企業さんですしね、まったく問題はありません。というわけで昨日内々定をいただいていた企業さんに返事をいたしまして無事就職活動は終了、というわけです。いや~、疲れましたね就職活動。でもこれでとりあえず一安心です。就職活動をしていく中で色々と思ったこともあるわけですが、それを書き綴るのはとりあえずまた今度ということにして、今はとりあえず解放感に浸っておきます。そう、私が行くことを決めたのはNTT PCコミュニケーションズ。プロバイダ『インフォスフィア』を持つNTTコミュニケーションズ直系のネットワーク関連を得意とする企業ですね。時代の最先端に触れていける職場です。海外との取り引きも多く、グローバルな世界に立っていけるのも魅力です。気合入れていきましょう。
というわけで、私は来年からは東京に出ます。京都の街は結構気に入っていた上に就職活動で東京という街が嫌いになった私は出ていくのがかなり名残惜しくもあるのですが、自分が選んだ道です。東京のいけすかない雑踏ともどうにかうまくやっていきましょう。現在就職活動中の皆様及び教員採用試験や公務員試験等で頑張っている皆様、すみませんが私は一足先に進路を決めさせていただきます。皆さんも頑張ってくださいね。何かできることがあれば何なりといたしますので。それでは残りの学生生活、お互い悔いのないように過ごしていきましょう。・・・私の場合まず卒業ですかね?
2000年5月11日木曜日
小説におけるイメージの効力 - 映画『クロスファイア』を観て感じたこと
『クロスファイア』の主人公は「パイロキネシス」という、念能力だけで人を骨まで燃やし尽くしてしまう程の炎を発生させることができる超能力の一種を持っていて、その力をもって己の正義を遂行していきます。この念能力だけで、ってのがくせものなのです。小説の場合は念能力を行使する際の主人公の心情の変化やら念能力のため方、飛び方等が言葉で表現されており、読み手はその言葉からイメージを具体化させることができます。ところが映像の場合はどうでしょう。主人公が相手を睨む、相手が燃え上がる・・・。わけがわかりません。元々目に見えないものであるだけに、映像化した場合の方が情報量として少なく、かえってイメージがつかめないのです。そのイメージをSFXとして具現化した場合などさらに酷い。我々の脳が通常認知している世界にない映像としてしか処理できないものだから、実に現実感、リアリティですね、が希薄になり、ただの安っぽい映像になる。それでも映像だけで楽しめる程SFX処理が大層なものならまだそれはそれで楽しめるけど、念能力みたいに元が目に見えないものが相手だとSFXにも限界があるし、大層にすればする程安っぽくなり現実感が薄れる。結果作品全体の力も希薄になり、つまらん映画ができ上がる、とそういうわけです。『ISOLA』なんて典型ですね。これは多重人格の少女とエンパス能力(簡単な読心術と思ってください。ちょっと違うけど)を持った主人公を扱った話なのですが、小説の方は名作と呼んでもいい素晴らしいものなのに、映画の方はというともはや少女が多重人格であることすら小説を読んでいないとわからないかもしれないくらい多重人格の表現が危うかった上に、エンパスもなんやわけわからん。多重人格もエンパスも死に伏線となりかねない上にわかりにくく、映像作品としてこれ以上ない失敗作に上がっていました。原作の作家貴志祐介氏にちょいと同情もしたくらいに。
ではそれが何故小説だとうまく機能するのでしょうか。一つには目に見えないものでも言語で表現できるので情報量が多くなりイメージがつかみやすいというものがありますが、何よりも人間の脳は自発的なイメ-ジ化においては凄まじい力を発揮するということがあります。本当によい小説のよい場面なら、読んでいてそのシーンの映像が小説の文字と並行してイメージとして心に浮かんできます。比喩ではなく確かに映像としてです。あたかもテレビのスクリーンで眺めているように、小説の場面の映像が浮かんでくるのです。そういった経験はないでしょうか。私の場合、初めての土地で「この景色どっかで見たなぁ」と思い、どこで見たのか記憶の糸を手繰っていったらその景色はある小説を読んだ時にその中の一場面として私がイメージしていた映像とよく似たものだったということに気付いたという経験すらあります。このように自分が作りあげたイメージというものは実際の現実と対等に渡り合えるだけのリアリティを持ち得るのです。我々がものを見るということも、脳が処理をして映像を映像として作り上げてみせているわけで、その意味で光という映像情報と、文字情報から想像力で作り上げられる映像と、両方映像として完成させるのはどの道同じ自分の脳なわけで、その意味では一緒なのだと思います。それが映画だともはや完成された映像を見せられていて、その処理には光情報を映像に直すだけで、現実的でないものも単純に映像として処理するしかない。ところが、文字情報からイメージを汲み上げて映像になる場合は、それは過程としてひとつの現実として作られるわけですから本当の現実と同じだけのリアリティを持ちえるのです。SFX等の映像は現実的でない映像の情報を現実的でない映像として目に見せるだけなので現実感が希薄になる。ところが小説は現実的でなく、映像でもない文字情報から映像、イメージを現実のものとして組み上げるわけですから。ですからいわゆる超能力とか多重人格とか、そういったオカルト的なものは案外映像化するより小説にしておいた方が力があるんじゃないかなぁと思ってみたりもします。
とはいえ、小説からイメージを組むのにはやっぱり多少の慣れが要るんでしょうけど。その人の才能とか適性じゃないとは思うんですけどね。要は右脳の働きですから、イメ-ジ化って。それを活性化させられれば誰でもいけるとは思うんですけどね。
2000年5月9日火曜日
一気に猛暑
2000年5月6日土曜日
『部屋を夏色に変えよう大作戦』二日目
今回の大掃除は綿密な(?)分析から始まりました。「何故この部屋はこんなに汚れているのか?どうしたらその問題は解決できるのか?」がそのテーマです。まず「何故汚れているのか」は収納スペースに対し物が多すぎること、そして実は結構ある収納スペースを活かしきれていないことが最大の問題でした。つまり要らないものを徹底的に抹消していって、現在うまく使われていない収納スペースの整理、活用をすすめればこの混沌から抜け出せると私は読んだわけです。要らない本は梱包して実家に送りつける準備をし、要らない書類は迷わず捨てる。そして必要だがまとまっていない書類はきちんと分類してファイルにしまい収納する。言うだけなら単純な作業ですが、いかんせん量が恐ろしく多いのと、紙を一枚動かすだけで舞い上がる埃の群れにやられて作業はかなり難航しました。埃というのはなかなか大したもので、掃除機で吸っても吸っても後から後からどんどん出てくるのです。これが金目の物だったら嬉しいところなのですが、埃が相手では喜んでもいられません。私は何度となく咳き込みながらの作業を強いられることになりました。そして要らないものはとにかく捨てる捨てる。昨日と今日でゴミ袋総計3袋+アルファを満杯にする勢いで不用品の抹消作業は続きました。しかし苦労の甲斐あって、床に山積した書類問題はどうにか解決、次はCDの収納スペース問題です。ここで最大のポイントになるのは今TVやコンポが乗っているAVラック。このラックはおおまかに3層に分かれていて、その両サイドはどうにかうまいことCDを整理して収納できているのですが、真ん中の一番広いスペースは実に無駄な使われ方をしていてもったいなかったのです。それを区切り板の位置を変更したり中身を整理したりすることによって解消し、見事に広々としたCDやVYRの収納スペースを確保、そこにきちんとブツを整理して入れてやることにより収納スペース問題も解決しました。我ながら見事です。あれだけ荒れきった物の多い部屋でもやればどうにかなるもんです。しかし当面のところまだ本棚が一杯で本が何冊かテーブルの上に溢れているなどの問題は残っています。この本の収納スペースだけがどうにも打開策が見いだせないのですね。何しろ慢性的な本棚不足で・・・。う~ん、どうしよう?新たに本棚を買ってもそれを置くスペースもなぁ・・・。まぁどうにかしましょう。部屋が完全に夏色に変わるまであと少しです。
2000年5月5日金曜日
『部屋を夏色に変えよう大作戦』
2000年5月2日火曜日
筆記試験の合格率
しかし今日一緒に面接を受けてきた人から聞いたのですが、今日行ってきた企業は2回の筆記試験で受験者の七割を振り落とすという恐ろしいことをやっているらしいですね。ということは3回目以降の面接にたどり着けるのは受験者の三割のみ・・・。冷静に考えたら凄いことです。とはいえ、私が回った別の企業でも一次の筆記で1,000人超の受験者を300人に絞り、次の面接で300人を70人に絞って最終面接でその70人を30人弱に絞るとお聞きしましたから、案外大きい企業というのはどこもそんなものなのかもわかりません。就職の倍率にくらべると大学受験の倍率なんて小さなものに思えてきますね。大学受験なんて倍率高いところでもせいぜい十数倍でしょう。それを考えるとやはり就職というヤツは厳しいものなのだなと実感できますね。