2017年8月20日日曜日

軍艦島を訪れて

ちょうど一週間前、8月13日のことになりますが、お盆休みを利用して家族で軍艦島に行ってきました。以前から多少なりとも興味はあったもののなかなか行く機会がなかった軍艦島。今回は妻が行きたいと言って軍艦島ツアー付きの宿泊プランがある宿を見つけてきたこともあり、意を決して長崎まで行ってみることにしました。長崎自体実に11年ぶり、軍艦島はもちろん初めての旅となります。そもそも軍艦島の上陸禁止が解かれたのが2009年、世界文化遺産になることが決まったのが2015年なわけですから、11年前に長崎に来た時には軍艦島ツアーなんてものはそもそもなかったはずです。当時はただの無人島であり、語弊はあるかもしれませんがただの廃墟でしかなかったわけです。多分当時の自分は軍艦島の存在自体は知識の片隅にはあったでしょうが、観光できる場所としては認識していなかったどころか、何があった島なのかもぼんやりとしかわかっていなかったのではないかと思います。それが今は数社がツアーを催行する観光名所になっている。10年ひと昔とは言いますが、なかなか状況は変わるものです。

 そもそも軍艦島は海底炭鉱の島として、明治・大正・昭和と日本のエネルギーを支える最先端の島として時代の先端を走っていました。日本初となる高層鉄筋コンクリートの建造物や、当時世界一の長さを誇った海底水道管など、文字通り最先端の暮らしがここに結集していたわけです。東京の9倍もの人口密度を持ち、その最先端の町や生活スタイルは当時「この島が日本の将来の姿だ」と言われたほど尖鋭的なものでした。それが国の石炭から石油へのエネルギー転換の方針を受け1970年に閉山・島の廃棄が決まり、栄華は一気に暗転。1974年には炭鉱が閉鎖され、無人島となります。国の方針ひとつで最先端から一気に凋落したこの島は、人が作りだし、人によって廃墟となった、数奇で悲劇的な島と言っていいと思います。

 自分が軍艦島に行った日は、夏らしくとても暑い、最高気温35℃とかある熱すぎるくらいの日でした。その分空も爽やかに青が広がり、景観としてはこれ以上ないくらいの上陸日和。暑いのはしんどいとはいえ、景色がきれいに見えるという意味ではとても運がいい日だったと思います。長崎港から軍艦島へは、船に乗っておよそ40分くらい。客員は50人程度しか入らない、基本的に航行中は全員着席となる決して大きくはないその船で、心地よい潮風に吹かれながら軍艦島に向かって行きました。いよいよ島が大きく視界に入ってくる頃になると、船は一旦海上で停泊して船上デッキで海から軍艦島を眺める時間を作ってくれます。その時撮ったのが冒頭に上げた写真です。一目見た感想は、非常に月並みながら「あ~、これは確かに軍艦だわ…」というものでした。もうね、見ていただければおわかりいただけるかと思いますがシルエットがホント軍艦。うん、こりゃ軍艦だわ、間違いないということで、それにしてもカッコいい島だよなぁとこの時点では完全にお気楽観光気分で船の上から何度もiPhoneのカメラのシャッターを切ります。ご覧の通りのスカッとした夏空が島のシルエットをさらに引き立ててくれます。これは上陸後の景色も素晴らしいんだろうなと、期待がふくらみつつ一旦席に戻り、船は上陸に向けて再び動き出します。

上陸後自分たちがまず通されたのは第2見学広場でした。軍艦島は上陸して見学できるエリアが完全に決められていて、個別に自由行動はできません。ツアーでの団体行動での移動になります。それも複数のツアーが同時に上陸してきますので、順番にローテーションするような形で見学エリアを回っていく形になります。この第2見学エリアから見えるメインの建造物はこの写真。この赤レンガ作りのちょっとお洒落な建物は元々倉庫だったとのことで、この隣には炭坑作業員の共同浴場があったとのことです。ご覧のように、今では建物の大半は崩れ落ちてしまい、パネル1枚の撮影用セットのように表面だけが辛うじて立っているような状態になっています。閉山から44年。もうこれを見るだけで、無人となった島で時が創り上げた廃墟の物悲しさが伝わってきます。とりあえずツアー客全員の集合を待つ間、自分はやはり景色を眺めたりカメラで写真を撮ったりしてこの風景を満喫していました。

 そこで、ガイドの方の話が始まります。このガイドの方は軍艦島を世界遺産にする会の会長さんで、ご自身がかつて軍艦島に住んでおられたとのこと。この方の語りは、ただ単に軍艦島を廃墟ツーリズムの享楽の中に組み込むだけでない、元島民としての思いが込められたものでした。あそこが自分が住んでいたマンションです、あの階段から毎日、父は炭鉱に向かって降りていったのです、と自身の生活の視点でお話されます。そして、この最初の見学広場でこう仰いました。

みなさんはここを廃墟だと思っている。廃墟を見に来たと思っている。でも、44年前まではここで暮らしていた人達がいたんです。私もそうです。私にとってはここは廃墟ではない。ふるさとなんです。みなさんはここに廃墟を見に来たと思って、この景色にカメラを向ける。いいんです。でもそのカメラを向ける時、ここでかつて暮らしていた人達がいたこと、ここを今もふるさとと呼ぶ人達がいることに、少し思いを馳せてみてください。

言葉は正確ではないですが、大体このようなことを話しておられました。この時まで自分も、正直軍艦島には割と気軽に来ていたというか、ただ単に廃墟のカッコいい景色を眺めに行こうくらいの気持ちでいました。でも確かに、廃墟ということはそうなる前にここでは確かな暮らしがあったわけです。それも一時期は時代の最先端を行っていた、まさに栄華と言っていい活気のある暮らしが。それが今目の前では時代の残滓として、廃墟としての姿を晒している。そしてその転換は、まだ当時住んでいた人がしっかり生きているほどの、近い時間軸で起こったことなのです。そう考えると、まさに時代に翻弄されたとも言えるこの島の景色が、ただ廃墟であるという以上に悲哀を帯びて見えてきます。そうか、まだ半世紀も経たない程度の昔には、まだこの建物では一生懸命暮らしている人達がいたんだな、と。

 また、そのガイドの方はこうも話していました。

ちょうどお盆です。みなさんは帰省でふるさとに帰ってきたのかもしれません。でも私は帰れてないんです、この島に。もう44年も。2015年にようやく炭鉱が世界文化遺産に指定されました。これでようやくふるさとを守れたなという気持ちです。でもまだ、指定されたのは炭鉱だけで、今見えている居住区の辺りは指定されたわけではありません。でも本当に人々が暮らしていて、本当の価値があるのはそちらであると思っています。

 それは、ここで暮らしていた人達がいたということを忘れないでほしいという思いがある言葉でした。そして、それを踏まえた上で今のこの風景を見てほしいという思いを感じる言葉でした。最後の案内の言葉は、次のように〆られます。

今から、すべての音を少しの間止めます。どんな音が聞こえるでしょうか。ちょっと耳をすませてください

(すべての音が止められ、訪れる静寂の中に、波の音、風の音、鳥の鳴き声が穏やかに聞こえてくる)

…せっかく無人島に来たんです。無人島の音も、聞いていってください。

 これがガイドの最後でした。お決まりのお礼やら何やら一切なし。それがまた逆に鮮烈で、無人島となった軍艦島のイメージが頭に焼き付けられました。この一風変わったガイドに感銘を受けたのか、それとも単純に風景に何か響くものがあったのか、上の子は帰りの船の中で「今年の夏休みの自由研究は軍艦島にする」と言い出しました。そして実際に今まとめています。何か感じてくれるものがあったのなら、親としても連れていった甲斐があるというものです。

 自分は自分で、帰ってきて今こうして書きながら軍艦島の印象を整理していて、そういえば東浩紀が廃墟ツーリズムがどうのとか言ってたなぁとふと思い出しました。あれは確か福島原発の絡みだったと思いますが、その廃墟ツーリズムという提唱の中で何を言ってるのか、ちょっと気になるなと思ってみたりしました。確かこの『弱いつながり 検索ワードを探す旅』っていう本だったはず。今度読んでみたいと思います。合わせてジョン・アーリの『場所を消費する』も、改めて読み直してみたいなとか。今の軍艦島は、ある意味正しくジョン・アーリ的に「場所を消費」されているわけです。日常の決まりきった経験から自らを切り離すような場に向けられる観光のまなざしと、それに対応するためのサービス。それによって軍艦島がどのように影響されていくのか。もしかしたら次第に、かつてそこで暮らす人がいてそれぞれの人の物語が存在したことも、その観光のまなざしの中で消費されてしまうのではないか。そんなことも今考えてみたりします。消費と言ってしまうと、少し悲しい気もしますが…。

 そんな感じで、好天にも恵まれた軍艦島ツアー、色々と感じるところもあり非常にいい経験をさせてもらいました。単純に景観を楽しむという意味でももちろん、そこからかつてあった暮らしに想いを馳せたり、実際に住んでいた人の思いを感じることもできたり、思っていた以上に濃い時間を過ごすことができました。今体験してきたことを色々と言葉で整理しようとしている最中ではありますが、いつかまた、今回の経験を一旦飲み込めた頃に、軍艦島にはもう一度行ってみたいなと思います。

2016年3月9日水曜日

美女と野獣 2nd修正

 先日アップした美女と野獣のスコアですが、案の定というか2ndのみ少々単純な間違いがありましたので譜面修正いたしました。1st、3rdに変更はありません。

総譜
パート譜(2nd)

 変更点は以下の通り。

・19小節目:レのナチュラルをオクターブ高く変更
・32小節目:4拍目のシの音が抜けていたので追加
・42小節目:最後のミをオクターブ高く変更
・67小節目:最初のミの音を削除
・67~70小節目:オクターブ高く変更
・74小節目:オクターブ高く変更

 また、本番Hまで弾いて終わりにしようというお話になるみたいですが、その場合最後の75小節目、3rdは5弦解放のラの音で終わってください。6弦5フレットでもいいです(同じ)。

 直前の修正で申し訳ないですがよろしくです。

2016年2月28日日曜日

美女と野獣

 シノさんの結婚式用『美女と野獣』の譜面、完成いたしました。合奏参加者の皆さまはどうぞご確認ください。以下のファイルに総譜、パート譜、参考の音源が入っています。

譜面・音源データ

 元の譜面は金管五重奏で、そのままのキーだとフラットだらけでギターだと弾きづらいことこの上ないので半音下げて調整しました。E→G→Aと2回転調するので、譜読みの際は気を付けてください。1stは重音の箇所がありますが、そのまま弾いてもいいですし2人で上と下分けて弾いてもいいと思います。そこはおまかせします。

 で、そう極端に難しくはないですが言うほど簡単でもありません。不可解な変拍子が出てきたりするので、ちょっと合わせづらいところがあるかもです。練習機会がほとんど取れないか、少なくとも自分はぶっつけ本番になるので、丁寧に音さらっておいた方がいいと思います。

 一応以下に総譜のリンクも置いておきます。スマホからならこちらから譜面を確認できると思います。

総譜

 ちょっと急いでやったのでもしあやしげなところや不明なところあればご指摘を。

2016年2月16日火曜日

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

 今更ながら、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』に挑戦してみました。古典の名作中の名作と言われてはいるものの、何か敷居が高い気がしてずっとこの作品を、ドストエフスキーを、遠ざけてここまできていたのです。何故今読む気になったかというと、正月にたまたま目についてkindle版を買って読んでいた『ゲンロン1 現代日本の批評』にこの作品の新訳を出した亀山郁夫の対談が収録されており、テロと文学、そしてこの『カラマーゾフの兄弟』との関係など語られていて興味を持ったのがきっかけです。探してみるとKindle版もあるようだし、それならまぁ読んでみるかということで早速注文してみました。購入したのもはもちろん亀山郁夫訳です。

 で、読み始めたのはいいけど正直第1巻の序盤はなかなか読書が進まない。フョードル、アリョーシャ、ドミートリー、イワンといったカラマーゾフ家の人物の生い立ちやら何やらが描かれるのだけど、これを読んでいくのがなかなかの苦行。この生い立ちを読むことがこの後の小説の展開にどの程度関わってくるのかまったく読めないまま、あれが当時のロシア風なのかそれともドストエフスキーの芸風なのか、とにかく冗長な長台詞をひたすら読まされる感じ。多分『指輪物語』を読み切ってなかったらこの段階で挫折してたんじゃないでしょうか。ずっと心の中で「『指輪物語』に至っては1巻まるまる旅立ちの準備で全然面白くなかったじゃないか。でもその後は一気に面白くなった。この作品もそうに違いない。きっとそうに違いない」と何度も繰り返して立ち向かっていました。ですがこの『カラマーゾフの兄弟』は『指輪物語』ほど凶悪ではなく、ちゃんと第1巻の3分の2を読み進める頃にはもう面白くなってきます。そこからは読書ペースも一気に上がっていきました。

 見てみると第1巻を注文したのが1月5日。第2巻の注文が1月24日。第3巻が1月30日。第4巻が2月1日。そして最終巻が2月4日注文で、読み終わったのが2月10日。第1巻を読むのに時間がかかった割には、その続きは一気に読み進めているのが顕著にわかります。また第3巻~第5巻の本編が終わる頃合いまでは幸か不幸かインフルエンザで寝込んでいたので、尚更読書ペースが上がりました。で、第5巻は本編はすぐ読み終わったものの、その後の亀山氏の解説はのんびり読んでたので少し時間がかかったと。第2巻以降はもうほとんど一気です。こんなに面白いとは思わなかった。この巨大さにしてこの緻密さ、生々しい人間の姿、普遍的な哲学、凄まじい。

 カラマーゾフの登場人物達は、時に高潔で、時に愚かで、一貫してないことも多く、でもそれゆえに「ああ、こういう人っているなぁ」と思わせるのです。今お付き合いさせてもらっている農家の方、特にビジネスという「場」に必ずしもはまっていない古い世代の彼らは、時に人間を剥き出しに振る舞うこともあるので、それこそ突然この作品の登場人物のような長舌な語りを始める方もいたり、感情のままに周りを振り回すような場合も時にはあったりします。新潟に戻ってきたばかりの頃、社会人としてはビジネスシーンという様式美の世界での人付き合いが主だった自分はその生々しさに戸惑い、これが農家独特の文化なのかと軽いショックを受けたものでした。でも、それは別に農家に限ったことでなく、ビジネスシーンという様式美をなくしてしまった時に見えてくる、生の人間なんだなということに次第に気付いてきました。

 この小説に出てくる人物たちは、そういった生の人間が凄く剥き出しの形で描かれるのです。フョードルの恐ろしいほどの道化っぷり。自分の欲求に、愛するものに忠実で、他人からは理解しにくいこだわりや誇りを持つドミートリー。無神論者で自説を滔々と語り、非常に理知的・理性的であるがゆえに自分の影に隠れた欲望に苛まれることになるイワン。卑屈な下男かと思いきや、終盤で思いの外狡猾で理知的に狂言回しの役を演じるスメルジャコフ。アリョーシャは、この小説では案外個性が薄い博愛の人ですが、ドストエフスキーの死によって叶わなくなったこの小説の続編ではもっと強烈な個性を見せるはずだったんでしょう、きっと。個性的な女性陣や検事・弁護士に至るまで、それぞれどぎついくらいの個性を、人間臭さをもった登場人物たち。どこかのレビューで「大勢の人間ドラマの大河」という言い回しを見ましたが、まさにそのような感じです。親殺しというテーマと、それに続く犯人探しという大きなストーリーの中に、登場人物それぞれの生々しい人間ドラマがぎちぎちに詰め込まれ、それが大河となりうねっているいる。そして言い回しこそ多少時代がかってはいるとはいえ、そこで描かれる人間の振る舞いや哲学的・神学的な問いかけ、巨大な物語のうねりはまったく古くさくないのです。シェイクスピアを読んだ時にも感じる、時代を超えた普遍的な哲学であり、人間の姿。これは確かに古典として残る凄みのある小説だと感嘆しました。

 第2部でイワンが語る大審問官。宗教は果たして人を救うのか?天上のパンか地上のパンか?という神学的・哲学的な問いの深さに重さ。第3部でいよいよフョードル殺害が起きる時点におけるドミートリーの怒りや失望、混乱の生々しさ。そしてそこから乱痴気騒ぎの中でそれらが急速に希望や歓喜へと変わっていく過程。そして次の瞬間にはそこから突き落とされるジェットコースターのような展開。どれ一つ取っても非凡な問いであり、描写であり、迫力なのです。

 特に圧巻だった第4部。イワンの内面の葛藤とスメルジャコフとのやり取り、それにより軋み、崩れていく精神の描写が凄み。崩れていく理性の描写としては芥川龍之介の『歯車』も読みながらゾクゾクした覚えがありますが、こちらもまた読むうちに崩れゆく理性の渦に巻き込まれ、次第に目眩がしてくる、まるで文章の中に吸い込まれていくかのような迫力。この辺りはもう文字から目をそらすこともできませんでした。そしてその崩壊した心の中にのみ残された真実はついに裁判では照らし出されることはなく、事実から「推察される真実」は見方によって様々に色を変え、心象を変え、裁判は進んでいきます。そう、やはり芥川龍之介の『藪の中』のように、真実は断片の切り方によっていくらでも姿を変えるのです。そして結局、真実は最後まですべての姿を見せてはくれないまま裁判の幕が閉じる、その無情さを感じする隙すらないようなあっけなさ。

 正直この作品がこんなに面白いとは、こんなに力があるとは、思ってもみませんでした。エピローグで感じるまっ白なカタルシスは、そこまでの様々な登場人物の、長く生々しいドラマを、登場人物は登場人物として、そして読者は読者としても、乗り越えてきたがゆえ。この人類の原罪に挑むかのような壮大なテーマに比して意外なほど爽やかで美しいラストは、読後に清々しい達成感を残してくれました。

 親殺しという神話からつらなるテーマを中心に、様々な人間模様や哲学、事実が真実を表すとは限らないというテーゼ、そして唐突で不条理とも思える結末。長さなど気にならず、最後まで一気に読ませてくれます。語る人物それぞれに、生々しい「人間」を感じるのです。そう、この言葉を何度も使いました。「生々しい」。この『カラマーゾフの兄弟』に出てくる登場人物たちは、実に生々しいのです。最近の物語の、ちょっと近くにはいなさそうな「キャラクター」ではなく、明日も会いそうな、今も隣にいそうな、等身大でカッコよくも悪くもある、欠点だって普通に持った、ありふれた人間の人生が紡がれて大河となっている小説なのです。だから、この小説のあらすじに意味はないのです。単純に数行で書き尽せるあらすじにこの小説の神髄はなく、ストーリーの流れから見るとむしろ寄り道にも見える一人ひとりの人間ドラマが、滔々とした哲学や美学の語りが、そこに描き出される思いや迷いが、普遍的な広がりをもって流れていくのです。もっと早く読んでおけばと思いつつ、でもこの歳だからこそわかる部分も多いのかもなとも思うのは負け惜しみでしょうか。これはいつかまた読み返してみたい小説です。その時はまた、別の訳で。

 とりあえず次は、『罪と罰』でも読んでみようかな?

2015年1月22日木曜日

よくない想像

 これはよくない想像だから、こっそり書きます。ISISが日本人2人を人質に取り、身代金2億ドルを要求している件。

 ネットでもリアルでも色々言われてはいるけれど、細かな陰謀論とか何とかはすべて脇に置いておいて、自分が今一番心配なのはこれを機にナショナリズム、全体主義的な機運が異常に高まったりしないかなということなのです。一番心配なのは人質の方の命ではないのかという意見にはごめんなさい。だからこっそり書くのです。

 人質が解放された場合でも最悪の結果になった場合でも、これを機に日本でもアメリカの「テロとの戦い」に巻き込まれたという認識はある程度出てくることと思う。それでも無事に人質が解放されさえすれば、せいぜい「今後こういったテロとの戦いに備えるためにも集団的自衛権の法的な保証が必要だ」という論調が強まるくらいだろう。もしかしたらこうした国民が直接巻き込まれた有事の際に自衛隊を海外に派遣させるための法整備を、なんて話も出てくるかもしれない。それはそれで慎重に考えるべきことであるけれど、そこまでならまだ怖くない。いや、怖いは怖いけど、まだ最悪の結果には至らないと思う。

 でも仮に最悪の結果になったら?その先の事態として、仮に日本国内でテロが起こったりしたら?その場合考えられる一番ひどい状況は、これまで日本のお家芸であった自己責任論やその他様々な他人様言論も言える雰囲気でなくなってくること。「亡くなった人を悪く言うなんて許せない」「テロを否定しないとは非国民だ」みたいな変な同調圧力が高まってきやしないかなと、それを密かに心配しているのです。そのようになってくると、まさに戦時中の日本のようになってしまう。こうなると一気に改憲だの国防軍だの、そういう話になっていくんじゃないかと、それを心配しているのです。

 Twitterで平野啓一郎氏が以下のようにつぶやいていました

 スポーツなどで国際的に活躍すると、「同じ日本人」として思いっきり共感するのに、紛争地帯で拘束されたりすると、いきなり「自己責任」と言って突き放してしまう冷たさは何なのか。

 2004年の香田さん処刑事件の際にも出ていた自己責任論。確かに冷たいようにも思えるけど、これはある種の自己防御システム、免疫のようなものなのかもしれないなと今思うのです。この「失敗した日本人」に対する冷たさは、ある意味その失敗にさらに追加のベットをしないような安全装置的な働きがあるのではないかと感じています。戦時中、少なくとも公の場ではまさに思想も言論も一つの方向に統制された状態で、無惨な戦争に身を投じたこの日本。その当時の極端な全体主義への反動から、今逆にそこに向かわないために敢えて冷たく「自己責任」と切り捨てることで距離を置いているのではないかと。今日たまたまお話をしたお年寄りの方(戦争体験者)の方もことさらに(特にビジネスで向かった人の方)を「自分で勝手に行って捕まったんだからなぁ…」と自己責任論を支持していた辺り、やはり全体主義への反動という一面はあるのでないかと思うのです。

 だから怖いのは「自己責任」とさえ言えない空気が生まれることなのです。仮に人質の2人に最悪の事態が起きた時、彼らに対して「自己責任だから仕方ない」と言える空気が残っているかどうか。香田さんの時は、良くも悪くもその余裕はまだありました。けど、今はどうだろう?ネットの発達で不寛容さが目立つようになった昨今。自己責任論の冷たさと裏腹に、日本には一度同調圧力が高まってくるとどうにもそこから抜けだせない怖さもあります。この自己責任論の冷たさが、セーフティネットにならない空気が生まれないといいと思うのですが…。

 とはいえまずは何よりも、人質のお2人が無事に帰国できることを祈っております。

2015年1月19日月曜日

インフルエンザ・パンデミック

 先週から、我が家でインフルエンザが猛威をふるっています。先週の日曜11日の夜に上の子が発熱して以来、妻も下の子も次々とインフルにかかっていきました。簡単に時系列をまとめると以下のような感じです。

11日(日) 上の子発熱。
13日(火) 上の子病院へ。インフル確定。
14日(水) 妻発熱、インフル確定。下の子微熱。
17日(土) 上の子治癒認定。下の子インフル確定。
19日(月) 上の子登校。下の子微熱。

 途中から妻もやられてしまったので、我が家は自分以外見事に全滅。15日から17日までは自分以外誰ひとり外出することができない状況にまで追い込まれました。おかげで先週は自分もまともに仕事ができたのは一日だけというありさま。ひどいものです。妻子はちゃんとインフルエンザの予防接種を受けてはいたのですが、今年流行っている香港A型は予防接種の効果が薄いタイプらしいですね。逆に予防接種を受けていない自分には(今のところ)うつってないんだからわからんものです。まぁ多分、自分はこの香港A型には過去にかかっていて免疫を持っているのでしょう。ひたすら病弱な子供時代でしたが、たくさん病気しておくのもたまにはいいこともあるものです(?)。

 今回ちとしくじったなと 思ってるのが下の子への対処。実は下の子、先週水曜からなんか37度台の微熱があったのですが、それ以上上がることもなかったからインフルではないかなと油断していたのです。でも上の子が完治の診断書をもらいに行く土曜になってもまだ微熱が続いているので一緒に診察してもらったら、見事にインフルA型判定。どうやら予防接種を受けている場合には、インフルエンザでもときたまこのように高熱にならずに微熱がダラダラ続くパターンがあるようなのです。もう発熱後大分日数が経っているのでタミフルももう効果的な時期ではなく…。ちょっと失敗しました。高熱にならずとも、周りにインフルが蔓延している際は微熱でもインフルを疑うべし。そうでないと結局治りが遅くなってしまいます。今朝も下の子は37度台の微熱。はたして完治はいつの日か。見てる分には元気なんですけどね…。

 そして今日から通学解禁の上の子、朝は学校に行きたくないと泣きじゃくっておりました。ちょうど三連休の途中から発熱し、期せずして九連休となっていた上の子。まるで冬休みが二回あったようなものです。そりゃ学校行きたくなくもなりますわな…。「おとうさんとおうちがいい!」と必死で言ってくれるのは嬉しいのですが、なかなかそうもいかないのです。ちょっと後ろ髪引かれる思いで泣きじゃくる上の子を送り出したとのことです。

2015年1月9日金曜日

仏『シャルリー・エブド』紙襲撃に思う表現の自由とその限界、リスク、責任

 新年早々痛ましく、また考えることの多い事件が起きた。フランスの風刺漫画が売りの週刊新聞、『シャルリー・エブド』編集部がイスラームの3人組に襲撃され、警官含め12人が射殺された事件。以前から度々イスラームを過激に風刺する漫画を載せていた同紙に対し、侮辱行為だと憤慨した犯人が計画的に襲撃を行ったという。現時点ではまだ確定情報ではないが、イスラームの過激派組織とのつながりも指摘されており、一連の欧米とイスラーム過激派組織の闘いの文脈の中で起きた、完全な民間人が被害者となった悲痛な事件。

 まずは犠牲者となった方々に哀悼の意を表し、いかなる理由があれ文字通り致命的な暴力という手段に打って出る行為自体に同意することはまったくないということを明言した上で、それでもこの事件については色々と思うところがやはりある。ここに至るまでの社会背景は、それこそ歴史的なものから911以後の欧米とイスラームの対立、フランス国内におけるイスラーム系移民の扱い等々複雑なものがたくさん絡んでいるが、ここでは話を単純化して、ある一点に絞って考えてみたい。

 この事件で自分が考えるのは、「表現の自由はどこまで許されるのか。許されない領域があるとしたら、その線引きはどこになるのか」ということ。今回は表現者がムハンマドを笑い物にするような漫画を風刺として送り出し、それを受け手がイスラームの聖人に対する侮辱と取ったことが直接の原因となった。犠牲者が出た非常に痛ましい事件ではあるが、これを「表現の自由に対する暴挙」と考えるのか、それとも「行き過ぎた表現の自由」と考えるのか。

 奇しくも2年前、今回襲撃を受けたのと同じシャルリー・エブド紙がやはりムハンマドの風刺画を載せてイスラームの反感を買った時、当時のフランスのエロー首相は「表現の自由は支持するが、限界はある」と指摘したという。その限界はどこなのか。

 誰しも自分が大切に思っているものを侮辱されたら、され続けたら怒る。それはわかる。だから表現の自由といってもそれは対象を明らかに侮蔑するようなものであってはならないという指摘も一理あるとは思う。けれど、果たして世界中の誰も不快にならないような表現など果たして可能であろうか?何よりも、表現が不快であるかどうかは送り手の問題でもあると同時に受け手の問題でもある。仮に送り手に侮蔑の意図がなかったとしても、受け手がそう取れば不快な表現となってしまう。メディアが発達し、価値観が多様化した現在、すべての受け手に不快を感じさせないようにと気を使い始めたら、最終的には沈黙するしかなくなる。

 では表現の自由の名の下に、我々は何を発信してもいいのだろうか?誰を、何を侮蔑しても、傷つけても?最近話題のヘイトスピーチや、現役の国の元首をパロディにした映画なども、限界なく表現の自由で保護されるべきものなのだろうか?

 一つの線引きとして、攻撃的、侮蔑的な意図をもって対象を表現することはできないとすることもできる。あるいは、表現の自由といってもその対象に対しては最低限の敬意を払うべきだと言うこともできる。でもその線引きは実に恣意的だ。その「攻撃的、侮蔑的であるか?」「対象に敬意が払われているか?」を判断するのは誰なのか?送り手なのか、受け手なのか、それともそのどちらでもない第三者なのか?先に指摘した通り、送り手にその気がなくとも受け手が「侮蔑だ」とすることもある。また、ヘイトスピーチに対する規制の話題でも、受け手の他に規制する側(権力者)がある意思をもって運用された場合、過剰に表現の自由が侵されるかもしれないという危惧が指摘されている。送り手が攻撃・侮蔑の意図はないと宣言すれば表現の自由の名の下に無罪とするのか?この例でも、先日は自分の女性器を3Dプリンタで表現したアーティストが逮捕された。猥褻罪。アーティスト自身は「猥褻な意図ではない」と宣言している。それでも彼女は逮捕された。処罰、規制の運用がこのケースをもっと極端にしたような形で行われたらどうなるか?主観でしか判断できない線引きは、いくらでも恣意的な運用ができる。これでは誰もが納得する線引きは難しい。この規制が行き過ぎると、実質的に表現の自由は失われ、非常に安全性の高い表現しか残らなくなる。最終的には伊藤計劃の『ハーモニー』でミァハが語る台詞が現実味を帯びる日がくるのかもしれない。

 昔の人の想像力が、昔の文学や絵画が、わたしはとってもうらやましいんだ。誰かを傷つける可能性を、常に秘めていたから。誰かを悲しませて、誰かに嫌悪を催させることができたから。

 表現の自由の限界はどこまでかという話にはここで結論は出せない。けれど一点、いくら表現の自由といっても表現はその名の下にすべてが無罪でありノーリスクであるわけではないということは忘れてはいけない。法律を犯すような表現、極論すれば殺人をアートだと称することは明らかに自由の範囲を超えるし、仮に攻撃的・侮蔑的な表現が自由だとして保護されるとしても、相手にも逆に怒り、恨む権利はあるし対抗する権利もまたあるということは忘れてはいけない。怒りや恨みによる対抗的な表現もまた自由だからだ。「表現の自由で私はあなたを攻撃するよ。でもあなたは私を攻撃しないでね。これはあくまで表現。表現の自由なんだから」とはならない。

 だから表現者は自分が行う表現に対してリスクを自覚的に覚悟しなければいけない。反論や対抗の可能性を意識しなければいけない。表現に対する責任を負わなければいけない。しかるに今回の件。サウジアラビア等のイスラーム諸国では今でも神の冒涜に対して死刑が求刑され、実行される。イスラームにおいて神の冒涜は極刑に値する罪なのだ。その論理と、特に911以降の欧米諸国とイスラーム過激派の悲惨な戦闘の経緯を鑑みれば、イスラームの神や預言者を冒涜する行為の代償として死を求められるリスクは確かに存在した。そのリスクを請け負った上で、命をかけてまで表現しようという気概が果たしてあったのか。自分もネットで問題となった漫画を見たけれど、あの本当にくだらない1コマ2コマのカットにそこまでの覚悟があったとはとても思えない。画像をここに転載したくもないくらいくだらないあの漫画に、命を落とす価値があるとは、申し訳ないけれど自分にはとても感じられない。

 少し話は逸れるが、表現に対する責任を負うとは言っても、表現の結果生じた事態が、とても責任を負えないレベルに達することもありうる。最近話題になった北朝鮮の現役総書記をパロディにした映画をきっかけにサイバー攻撃の応酬が始まった件等、自分の表現が国家間の関係にまで影響を及ぼした場合、個人の表現者は一体どうやって責任が取れるのか?もし、この件で北朝鮮がミサイルを飛ばして戦争が始まったりしたら?リスクは表現者の手を離れてどこまでも拡大する可能性がある。だからといって自分の手に負える範囲でしか表現をしてはならないと言えば、それもまた表現の自由と可能性を奪うことになるのでそこには慎重にならないといけないが、せめて表現者は自分の表現のリスクに対してはある程度自覚的でいるべきだと思う。すべてを予見することは当然できないだろうけど。

 ただこの事件では、犯行者が12人もの命を奪ったのはあきらかにやりすぎだ。確かにあの漫画もひどいものではあった。正直あのただ対象をバカにするだけで政治的主張も何も感じられないような浅薄な風刺画は、表現の自由といって守るほどのものなのかなと悩んでしまうくらいだ。だが、それにしても命を奪うことはない。今回のような致命的な暴力による表現への弾圧、脅迫はあってはならない。先に「イスラームにおいて神の冒涜は死に値する」と書いたが、実はこれは国家が定めた政治的な決まりであって、教義で定められているものではない。ハンムラビ法典では「目には目を、歯に歯を」と言われるが、これもまたよく言われる「自分がやられたことをやり返すべき」という意味ではないそうだ。あくまでイスラームの教義においては相手を許すことが一番いいとされる。けれどもどうしても許せない場合には「自分がやられたことまではやり返してもいいよ」と、報復のレベルに制限をかけるための法だということだ。ハンムラビ法典は限度のない復讐を明確に規制している。だからせめて、表現による侮辱には表現による侮辱で対抗すべきだった。相手に瑕疵があるとはいえ、命を奪う手段を取るべきではない。

 今回の事件に対する抗議デモの中で、コーランの一節を引いて抗議のメッセージを掲げている写真をTwitterで見かけた。そこにはこう書かれているという。

 互いに殺しあったのはあなたがたであり、(中略)凡そあなたがたの中でこのようなことをする者の報いは,現世における屈辱でなくてなんであろう。また審判の日には,最も重い懲罰に処せられよう。アッラーはあなたがたの行うことを見逃されない。

 事件の後、今度はイスラーム関係の施設が各地で襲撃されているとの報が入ってきている。イスラームも我々も、このコーランの一節を、じっくりと噛みしめる必要があるのではないだろうか。

 このような痛ましい事件が、もうこれ以上起きないことを祈ります。